迫害に耐えかねた同志たちが次々と転向を表明する中、自らは、「節義のために。それが正しいとする気持ちは変わらなかった」と迫害に耐えました。その後、1989年に母国の民主化革命が実現すると、彼女の名誉は回復され、国家の要職に就き、スポーツを通じて、世界、とりわけ日本との友好に力を尽くしました。
癌で余命の告知を受けた時には、取材に訪れた日本人記者に、
「自分の人生は『山あり谷あり』。(自らの余命について)人生はそんなものです。受け止めるしかない。水が下から上へと逆流できないのと一緒」と答えていました。東西冷戦時代の渦中、命に関わるような危険があっても、勇気と誇りを持って信義を貫き、使命を果たした彼女の満足が推し量られ、この言葉に心打たれます。
『法華経』には、「我、身命を愛せず、ただ無上道のみを惜しむ」とあり、我が身可愛さを捨て、正しい道を選択する勇気と覚悟を持つことが肝要だと教えます。
厳しい世の中で正しい道を選び抜く勇気を持ち続ければ、いずれ迎える最期の瞬間、死に対する不安も、恐れもなく、「私の人生に悔いはない」という安心の境地に至ります。それには今、自分がなし得ることを精一杯、心して尽くすことです。
文・南 省吾
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