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 この本の前半には、テロ発生直後、惨事に巻き込まれた妻の安否を尋ね、やがて妻の死を知るに至った時の絶望と行き場のない怒りが綴られています。
 しかし、最後には、「金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪った。その人はぼくの愛する妻であり、ぼくの息子の母親だった。それでも君たちがぼくの憎しみを手に入れることはないだろう。(中略)ぼくは君たちに憎しみを贈ることはしない。君たちはそれが目的なのかもしれないが、憎悪に怒りで応じることは、君たちと同じ無知に陥ることになるから」と、憎しみの連鎖を断ち切ることを誓い、テロや戦争の原因となる無知や偏見と闘うことが宣言されています。
 釈尊は『法句経』に、「慈しみによりて怒りに、善によりて悪に、布施によりて慳貪に、そして、真理によりて、妄語の人に克つべし」と、怒りや悪、物惜しみや虚言には、慈しみや善、布施や真理によって打ち克つことができると説かれました。
 思い通りにならないことに怒り、不幸や不遇を嘆いて、愚痴や感情に流されてしまえば、自分だけでなく周りをも傷つける悪循環に陥ります。そんな時に、善とは何かを教え、そこに向かって、前を向いて歩むことができれば、憎しみのない輝かしい世界が広がっていくことでしょう。たくさんの方々に打ち上げを応援して頂き、感謝の気持ちでいっぱい」という言葉からは、夢の実現への道の一歩一歩に力を尽くし、好奇心に目を輝かせる子供のように取り組むことができた喜びが感じられます。一見すると夢のように思える、達成できないような目標であればあるほど、挑戦することの価値は高まります。
『無量壽経』に、「一人の人が、小さな枡で大海の水を汲み量ろうとする時、限りない長い時間を経れば、ついには底まで汲み干せる。もし人が一心に努力して、仏道を求め、いかなる困難に遭っても諦めない時、必ず願いは成し遂げられる」と説かれるように、どれほど大きな目標であっても、果敢に挑戦し続ければ、必ず成就します。何よりも大切なことは、困難な道であっても、一途に夢を実現しようとする心意気とその実践です。たとえそれが小さな一歩だとしても、何もしないことこそが悪と心得て、日々の努力を重ねたいものです。




文・南 省吾

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