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 平安時代に活躍した天台宗の高僧、恵心僧都が、九歳で比叡山に登る時、母は、「一切衆生を救う立派な僧になるまで、決して下山してはならぬ」と厳しく言い渡しました。
 母の言いつけを守り、修行に励んだ恵心僧都は次第に頭角を現し、わずか十五歳で、天皇より法華八講の講師の一人に選ばれ、大層な御褒美を賜りました。恵心僧都は大変喜び、故郷の母にその褒美を送ったところ、


 「後の世を 渡す橋とぞ 思ひしに
    世渡る僧と なるぞ悲しき」


(一切衆生を救う僧になると思っていたのに、名利を求める僧になるとは何と悲しいことか)と、母は我が子を諌める歌と共に、褒美の品を送り返してきました。褒美を誇る我が子の心の中に、名利を求める「巧言令色」の芽を見つけたのです。
 母の厳しい訓戒に、大いに反省した恵心僧都は、その後一切の名利を求めず、一心に道修行に邁進しました。そして、恵心僧都の著書『往生要集』は、法然上人や親鸞聖人に多大なる影響を及ぼすに至ったのです。
 仏法はこのように、厳しさの中にあって今日まで伝えられてきました。
 私たちも、馴れ合いを排し、互いに悪を戒め合い、善を勧め合って仏道を歩んでいきましょう。




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